雨の涯(はて)


犯罪者をもってしまった家族の葛藤を父親の立場、本人の立場からみつめた小説です。
日常生活でなぜとあなたに問いかけ、共に考えてくれることを求めた主題は重たいが、
その先にはあなたはなにかを見出すに違いない。
 
 
菊 池  明
 
・≪0≫・ ・≪1≫・ ・≪2≫・ ・≪3≫・ ・≪4≫・ ・≪5≫・ ・≪6≫・ ・≪7≫・
 

 

  こぬか雨が静かに降りつづけていた。
  東京牛込の古刹、大宝寺では、いつもながら本堂から僧侶たちの読経がかすかに聞こえ、線香の香りが境内にほのかにただよっていた。山門や本堂そして境内の鬱鬱たる草木の緑もその静かに降り続ける雨をうけ、いきいきと劫初の落ち着きをはなっていた。しかしその日は普段とはまったく違った光景が展開されていた。黒服に身を包んだ男たちだけの集団が蠢いていた。黒塗の高級車が山門正面に横付けされると、外で待機している男たちがすばやくかけつけ一斉に体を九十度に折りまげながら、「ご苦労様です」と語気するどく境内の静寂をあたかも邪魔するように声を発していた。
  所どころに数人の警察官や私服刑事が警戒のために立っており、地元の人や通行人の幾人かが不安と物珍しさで寺をとおまきにのぞいていた。鏑木もその人々の中に埋もれるように佇んでいた。鏑木は黒服の中の若い男の姿を凝視していた。その男は降車する暴力団幹部らしき男たちに素早く透明で大きなビニール傘をさしかけ、山門から本堂まで誘導していた。そのようなことを長い時間しつづけているのだろう。遠めにも黒服が雨にうたれつづけていて濡れているのがわかった。自分たち家族の許を去っていった息子の姿を見るのは、実に一年半ほどの時間が経過していた。

  息子の健一が九年前に殺人致傷という犯罪をおかして逮捕された。
  その日、早朝に訪問者があった。応対する妻の様子の異様な変化が身支度をしている鏑木にも感じられた。足早に廊下を走る音がし、健一を呼び起こしている妻の声が聞こえてきた。普段とはちがい緊張で昂っているようだった。鏑木は無意識に玄関へ向かった。三人の男たちが玄関ドアを内側から閉め、三和土にあがりこんでいた。突然、現れた鏑木に三人共鋭い視線をなげかけた。その中で一番年嵩に見える男が胸ポケットからゆっくりと警察手帳を提示しながら、
「お父さんですか、殺人致傷容疑でご子息の健一くんに聞きたいことがありますので、警察署に同行してもらいます」
  感情をおさえた冷徹な態度で鏑木をみつめた。鏑木は状況がすぐには理解できなかった。刑事が再度鏑木に罪状を告げた。かすかに震えが襲い、全身から力がぬけていった。金縛りにあったように身動きができなかった。
  両側を刑事にかかえられた健一が哀しそうに自分を見つめる表情が脳裏にやきついている。妻が茫然として玄関脇に立ちつくし、また娘で妹の伸子が健一の足にしがみついて離れなかった。一人の刑事が鏑木に向かい軽く会釈しながらじっと視線をそらさなかった。玄関ドアが開けられ、薄暗かった玄関に光が差し込んだ。そしてすぐに光は暗闇に変わり、虚しい空間のみが残った。三和土にうずくまって伸子が慟哭していた。

  あの日、高校一年生であった健一は中学時代の友人達と夏まつりでにぎわっている神社に向かっていた。近くの人気のない児童公園の公衆便所の陰で、三〜四人の少年たちが、二人の少女を囲むようにしている場面を目撃した。少女たちが脅かされていると直感した。人の気配を感じたのか、少年達はあわてふためいた様子で走りさっていった。その時一人の少年と目があった。その少年は健一の顔を見て、一瞬とまどいを表情に刻んだが、すぐに目を伏せて仲間と一緒にその場から足早に去っていった。二人の少女は健一の顔を見ると急に泣き始めた。一人は妹の伸子だった。その頬には平手でたたかれたのだろう、手の形が赤くうっすらと残っていた。二人とも楽しみにしていた夜店で買い物をするための小遣いを盗られていた。健一は自分をみてうつむいたあの少年は、クラスは違うが同じ中学校の同期生であり、在学中は、多くの級友たちからからかわれ、いじめられていた小松であったと、思った。
  中学三年の卒業式を直近にした頃であつた。健一は男子生徒三人が、彼をいじめている場面に出会わした。体の一回り小さい小松のズボンを、無理やり三人が脱がしにかかっていた。昼休みで廊下には多くの男女生徒が群れていた。小松は泣きながら抵抗をしているが、三人の力の前には無力であった。十数人の男子生徒がその行為をにやにやしながらみていたが、多くの生徒はそのやりとりを見ても、かかわらぬようにふるまっていた。たまたまその場に出くわした健一は中にはいっていった。
「お前ら何をしているんだ」
  健一の阿修羅のような形相におそれをなしたのか、三人は舌うちするような仕草で廊下に倒れている小松をそのままにしてその場を離れていった。いつのまにか周りにいた生徒たちも何事もなかったように散っていった。いじめられていた小松は上目づかいに健一を泣き乍らみつめたが、すぐ目をふせて、足首まで脱がされていたズボンを穿き直した。その時、小松のパンツが汚れているのをみた。何日も穿き続けているための汚れであると思った。力なく立ち上り、健一をみることもなく、その場を立ち去っていった。小松の家庭は病身の母親との二人暮らしで、生活保護をうけているということを誰からとなく聞いていた。その後、学校内で小松に出会う時があったが、小松は視線を合わすことも、言葉を交わすこともなく日々が経過し、やがて互いに卒業していった。
  健一の通学していた中学校は、一学年が三百人ほどのマンモス中学校であった。そこにはさまざまな生徒たちがいた。大勢の生徒がいると、いくつかのグループに集団ができてくる。健一も七名ほどのグループと行動をともにしていた。仲間がほかのグループから脅かされた時など健一が相手に威嚇を与え、校内では喧嘩が強い奴として名をはせていた。健一が中学三年生に進級した春に、次のような事件があった。
  近隣中学校の不良グールプによって、何人かの生徒が恐喝される被害が相次いでいた。健一たちのクラスで学級委員長をしていた尾崎が塾帰りに脅かされ金銭もとられ暴行を受けるという事件も発生した。しかし尾崎もその家族も警察沙汰にすることを拒んだ。仕返しが怖かったのであろう。学校も家族の申し入れを幸いに何等調べることもせず、事件はうやむやに幕をとじていった。
  それから一月ほど経て、同じクラスのアルバイトで新聞配達をしている小池が尾崎を襲った不良グループの標的になった。 
  月はじめの日曜日に小池は新聞代金の集金をしていた。やつらは彼を児童公園の公衆便所の中に無理やりつれこみ、集金した金銭をすべて盗った。泣きながら戻ってきた小池をみて、事情を知った新聞店主が警察に届けたが犯人たちはわからなかった。小池はいままで見た事もないグループだと警察にも伝えていたが、健一は、それは小池の嘘だということはわかっていた。尾崎と同じようにあとあとのことをおそれて小池も嘘をついたのだと思った。小池が盗られた金銭を毎月の給料から天引きされていることを健一は知った。家庭の経済的事情から新聞配達をしている小池にとり、盗られた金額を弁済しているということは大変なことに違いなく、店主の天引き行為に釈然としない気持ちを抱いていた。そして健一は小池に比べ何か親に甘えすぎている自分を恥ずかしく思った。その事件後も小池は配達途中で奴らと運悪く出会わせる時がある。そのような時、新聞を届けなくてはいけない家をあえて避けてしまい、配達が終了したあとで残された家を訪れるが、やつらがまだ道に陣取って数人で傍若無人に食べ物のごみを道端に捨てたり、大声で話し合っているような時は、立ち去るまでかなりの時間を待たなければならなかった。店主からこのところ不着や配達の遅れが目立つぞと叱責を受けた。ただ、小池は頭を下げてあやまるだけであった。
  健一と小池とは、特に親しいという間柄ではなかったが、健一は口の重たい小池からそのグループの一人が小池の顔見知りである他校の生徒であることをようやく訊き出した。健一はお前の名前も、お前の事件もなにも出さないから安心しろといった。そして、またやつらがお前になにかするような時は、隠さず俺に話せと威嚇するように命じた。小池は不安そうであったけれどかすかに安堵する表情がみられた。が、すぐにその表情はゆがんだ。小池は健一に話してしまったことをくやんだ。やつらが脅かし金を奪った時、決して自分たちのことは誰にも話すなと強い脅かしをうけていて、万がいち自分の口から彼らの名前がもれたとしたらどんな目にあうか恐れていた。彼は健一に何もしないでくれと哀願した。健一は哀れむように小池を見つめ、彼の肩に手をおいた。
  健一はこのままこの事態を見逃していたら、奴らの行動はエスカレートしていくことに間違いはないと思った。そのような中、校内でも清楚で男生徒から人気のある一学年下の女子生徒が奴らにまとわられ怖がって、学校にきていないという噂が健一たちの耳に入ってきた。しかし学校も含めて誰一人として奴らに立ち向かう者は出て来てはいない。区内の各学校ではおそらく地元警察との協議はすすめているにはちがいないが、奴らを抑止するだけの動きには到っていなかった。被害届けも出ていない状況ではどうしようもなかったに違いない。自分たちの周りの人間があいつらにいいようにされているのは許すことができないと思った。だが、あいつらの力は自分一人で手に負えるものではなかった。集団同士では勝ち目はないと健一には十分すぎるほどわかってはいた。一対一でのたたかいであるならば僅かに健一に有利になるかもしれないと思った。放課後、健一は校庭の片隅にある生徒たちが憩える場としてつくられた小公園のベンチに腰掛けていた。校庭ではテニス部が一面のコートで練習試合をしていた。軟球を受け止め、打ち返す音や声援が健一にもきこえていた。トラックを陸上部の部員が黙々と走っていた。放課後の校庭は若い青春の躍動する鼓動に満ち溢れていた。そのような光景をながめながら、隣にいる仲間の坂上に健一は自分の気持ちを話した。坂上はしばらく沈黙していたが、番同士の決着という形に持っていこうと提案した。
  数日後、放課後に健一たちは奴らの溜り場である新大久保のゲームセンターをさがしだし出向いた。奴らがかなり傍若無人ぶりにそこのゲーセンで遊んでいた。店員が時折注意をするのだが、一向に気にもせず奴らは居座っていた。健一はスロットで遊んでいる奴らの一人のそばにいき、じっとみつめていた。その男は当初仲間が自分の遊びをそばでみているものだと思っていたようだった。横を振り向くと見知らぬ健一が立っているので驚き、その視線が健一の頭からつま先まで流れたあと、にらみながら、
「てめえ何か文句があるのか」
  大声で威嚇した。さまざまなゲーム音の交差で騒々しい店内であったが、仲間のその声に反応して瞬く間に十人近い奴らが、健一の周りにやってきた。頭らしい坊主頭で目付きの鋭く体格のよい男が健一の顔に触れるのではないかと思うくらい顔を近づけ、
「おまえらはどこの学校だ」
  健一は、それには応えず、どこか静かなところで片をつけようといいながらその男を睨みつけた。わずかな時間だがいきなり喧嘩をうられたということに、その男はかすかな動揺をみせた。俺についてこいという仕草を健一はした。健一のそばにはいつの間にか坂口をはじめ仲間六人が相手たちと対峙するように集まっていた。ゲーセンから出て、近くにある市民球場などを併設している公園にあゆみを進めた。健一の後ろから奴ら十人ほど、その後に健一たちのグループが六人ほど連なっていた。その公園にはバスケットに興じている若者や鉄棒などで遊んでいる小学生など数十人いたが、健一たちの異様さにそれぞれの手を止め、その場に立ち留ったまま目線でおっていた。
  健一は自分がA中の番をはっている、おまえらの番と対で勝負をしたいといった。さっきの坊主頭が相手になるといって健一と向かい合った。両グループの他の者たちは後ろへ下がった。坊主頭が自分よりいくらか体の小さい健一を見下すような表情でみつめていたが、素早くするどい左からの拳をくりだしてきた。健一はかろうじてかわし両拳を胸の前で構えた。男は一呼吸おいて右の拳を真っ直ぐにのばしてきた。健一はわずかに左側に顔面を傾けながら一歩踏みこんで、逆に右からの健一の拳がその相手の顔面をとらえた。鼻からの鮮血が顔全体に拡がり、男の表情には恐怖心があらわれたようだった。一時の相手のひるんだ弱さにかけた。その相手にたたみかけるように容赦ない健一の殴打がつづいた。男の仲間の一人が健一に向かってきたが、坂上が素早く真横からその男を蹴りあげた。男は腹をかかえ歪んだ表情で前に屈み膝をついた。残りのやつの仲間たちは誰一人として助けることはなくその場に蒼白の表情でたちつくしたままであった。坂上が男を蹴り上げた後すぐに、健一と相手の間に体を割ってはいりこんで健一の行為をとめた。坂上はやつらの怖気づいた今が潮時と判断した。健一に向かい、
「これ以上したら奴は死んでしまう」
  相手側に聞こえるように叫びながら間に割り込んだ。奴らは逃げるようにその場を去っていった。あっけない幕切れであった。この事件を通して健一の強さがことに強調され学校全体にしられるようになり、その噂は他校にも知れ渡っていった。その地域の中学校での総番長になっていった。そして健一はA中を卒業し都立高校に進学した。

  事件はあの祭りの日から数日して起こった。高校の授業がおわり正門から健一が同級生の数人と雑談しながら下校していった。あきらかに不良っぽい服装をした見知らぬ若者が数名、正門近くにたむろしていた。時折このような光景をみているので、健一は何も気にせずに彼らの前を通り過ぎていった。
  級友たちと別れ一人私鉄の駅に向かう道すがら、さっきの若者たちが健一の後をつけてきている気配が感じられた。後から来るのを友人達と一緒のときも感じていたが、はっきりと意図的に尾いていると判断した。健一には彼らに見覚えがなかったが、そのうちの一人が健一に足早に近寄り、顔をかせと言ってきた。その男は健一の数歩先を歩きはじめ有無をいわせずにずんずんと進み、健一をひっぱっていくようであった。
  近くの神社の境内に入っていった。健一は歩みを止め、引き返そうとしたが、後ろからの三人が健一の体を押さえこむようにして強引に連れていった。社の裏側に連れていかれた。健一たちの来るのを待っていたかのように一人の男が立ちあがり健一に近づいてきた。同窓生で中学時代にいじめられていた小松だった。小松は健一の正面に立ち、真っ直ぐに健一を見つめた。
「お前にはこれといって恨みはない。だけどお前は俺にとって足枷だった。お前はいつも目立って生きてきている。善意から俺を助けてくれているのかもしれないが、ほどこしを受けた俺はいつも自分が情けなかった。こんな日が来るとはおもわなかったが、俺とタイマンをはってほしい、お前と勝負がしたいんだ、そうしなければ俺はどんどん駄目になるような気がする」
  健一との間合をはかり始めた。突然の小松たちの理不尽な行為に健一も戸惑いをおぼえながらも、次第に冷静さを抑えることができなくなった。声高に、
「俺の妹たちから金をとったのはお前たちか」
  健一は問いつめた。
  身構える間もない健一に小松は全身をのせたような拳をはなってきた。健一はかろうじてその打撃をよけたが、小松の左足が健一の腹をするどく襲った。不意な攻撃とあの弱々しかった小松の変わりように健一はひるんだ。腹部に受けた打撃は健一の動きを一時止めた。前屈みになった健一の顔面に小松の拳がおそった。顔面に強烈な痛みをかんじた。小松は身構えていたが、息が上がったのか肩が上下に揺れているように見え、小馬鹿に嗤ったように見えた。
「お前の妹とはあの時は知らなかったが、仲間が後から教えてくれた。お前の妹だと」
  小松は肩で息をしながら健一をみつめた。
  健一は不敵な表情の小松に殴りかかっていった。小松は健一の攻撃を何度かかわしたが、体力的に優る健一の動きに、小松の動作がにぶくなっていった。健一の右からの放つ拳が小松の顔面をまともにとらえ、あやつり人形がくずれおちるように小松は蹲った。
  小松の不利をみた仲間四人が健一の回りを囲み始めた。健一は四人を相手にたたかう気力はなかった。やつらにサンドバッグのように打たれている自分を想像した。かがみこんでいた小松が、
「これは俺とこいつのタイマンだ、お前等は手をだすんではない」
  四人に向かってさけびながら、健一にもういけという仕草をした。
  ほかの男たちの挑むような視線を背後に感じながら健一は境内を足早に立ち去って行った。突然にふって湧いたようなこの出来事は健一のなかでは 「なぜ、どうして」 という思いであった。小松の変貌ぶりに頭の中は混乱したままであった。
  それから数日して、まだ健一が床の中にいた時、普段なら必ずノックをして入ってくる母親が蒼白な表情でいきなり入ってきた。
「け ・ん ・い ・ち」
  呂律の回らない乾いた話し方であった。大きく動揺した表情で健一を見つめた。
「玄関に警察の方が」
母親の言葉は緊張でかわき体がふるえていた。健一は尋常ではない出来事が自分の周りに起こったことを察したが、直接その対象が自分であるとは思ってもいなかった。
  容疑は殺人致傷であった。小松が全身打撲で、頭部に受けた打撃が致命傷になり病院に運ばれた二日後に死んだ、ということであった。神社境内で、亡くなった小松が数人の男たちによって暴行を受けたらしいという目撃情報によって健一は容疑者という形で逮捕された。当日、健一たちが連れ立って境内に向かっていく姿をたまたま、中学時代の級友がみたという有力情報によってであった。
  健一は刑事に逮捕されたその時の様子を、動揺のなかにも冷静に意識していた。衝撃が大きく、動転している家族に向かって、俺は何もしていないと叫びたかったが、両側から健一の体を支えている刑事たちの力強さと突然の出来事からくる狼狽感でなにもできない状態であった。父親が茫然とした様子だったが、へなへなと倒れこんでしまったのを覚えていた。母親のその時の様子は記憶になかった。恐らく自分の視界の中にいなかったためであろうと思った。ただ青ざめた 「玄関に警察の方が……」の震える声とうつろな表情が焼きついていた。
  取り調べでは健一は小松の仲間に強引に境内へ連れていかれたことを話したが、取り調べ担当の刑事は信じてはくれなかった。他の暴行に加わった仲間を教えるようにいわれたが奴らは仲間ではなく知らないと言わざるをえなく、その健一の態度が取調官の心証をより悪くみせていった。執拗でたくみな尋問に健一は小松を憎かった、だから殴ったと話した。小松の交友関係からその暴行事件に関わった連中も逮捕されたが、彼らは口をそろえてこの事件の首謀者は鏑木健一であることを主張した。この事件は集団での暴行事件として扱われた。警察は健一の自白とあわせるかのように記者会見をひらきいじめによる集団暴行事件として発表した。審判は健一を主犯として少年院送致を下した。あとの者へは保護観察処分であった。健一の言い分を警察もわかってはくれず、あくまでも集団での暴行によった殺人致傷ということで、弁護士が健一の言い分を審判の場で述べたが正当防衛という事実を立証することはできなかった。彼が中学生時代に地域では総番長であったらしいという情報が先行し、その時の客観的な判断を歪めていたようだった。だが健一は、自分の言い分が法の番人である裁判長には理解してもらえるものとかたくなに信じていたが、その審判結果は健一の内面に深い傷を刻みつけた。信じてもらえるということがいかに難しいことであるかという現実を知った。健一の生き方が裁判長にこの事件への正当な判断を鈍らしているのではないかと考えた。自分が不良グループにかつていたというその事実が先行してしまい、過去の自分が今のじぶんの前に大きくたちはだかっていると思った。
  小松を死にいたらすような力で俺は彼をなぐったのだろうかと自問した。俺の暴行現場をみたという同級生だった奴は、一部始終をみていたのではないはずだ。あたかも俺が先頭きって何人かの仲間を引き連れて神社の境内へ入っていったと証言したという。俺は当初、やつらに無理やり連れられていかれた。おれの数メートル先を歩く男の姿を自然とおいかけるような形になった。俺が逃げることはしないと判断したのだろう、両脇にいた男たちは俺のうでをとるのをやめ、少し離れて俺の後をついてきた。これが真実だ。何度も俺はそのように言ったのに誰も信じてくれなかった。あの男たちは皆口を揃えて、俺が小松に暴行していた、命じられて小松をなぐったかもしれないが、体格的にほかの男たちより優る健一がこの暴行事件では中心をなしていたと言い合った。以前、小松たちに妹が脅かされ金銭を盗られたことを深く憤っていて、ただではすませないと日ごろから言っていたと証言した。当初、やつらのそのような自分たちの保身からでた嘘はすぐに見破られると思っていた。だが、日々を経るうちに嘘が真実になってしまった。健一が感情的に違うんだと強くいえばいうほど、健一の立場は暗い迷路に入っていくようであった。健一はしだいに他者を信じることができなくなる自分を感じていた。両親も俺の言い分よりも、警察や裁判長の方の言い分に重きをおいているようであった。ただ妹の伸子が少し前におきた小松たちによる恐喝事件を警察の取り調べ官に話したが審判に影響はあたえず、むしろ妹がやられたことへの仕返しが強かったのではないかということが話されていると、担当の弁護士から聞かされた。健一は、それはまったくないと言い切ったが、弁護士が信じてくれたかどうかわからなかった。
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