雨の涯(はて) (菊 池  明)

 
 雨の涯 (はて)
 
犯罪者をもってしまった家族の葛藤を父親の立場、本人の立場からみつめた小説です。
 
日常生活でなぜとあなたに問いかけ、共に考えてくれることを求めた主題は重たいが、 その先にはあなたはなにかを見出すに違いない。
 
菊池 明
 
≪0≫ ≪1≫ ≪2≫ ≪3≫
≪4≫ ≪5≫ ≪6≫ ≪7≫
 

≪2≫

  およそ一年半、健一は長野の少年院にいた。あまり同室の者たちと話をする方ではなかったが、 事件はより健一を孤独の空間に導いていった。同室は六名であったが、健一が一番ながくいるせいか、また事件が殺人ということもあり、みんな健一と目をあわしても個人的な事柄を語りかけてくることはなかった。所内ではそれぞれの入所の事情は個人の尊厳を保護するという観点から伏せているが、日々の生活の中で自然と事情を互いに知ることがあることもある。入所して半年が経過した頃、教官で健一の心に寄り添うとしてくれる人物が異動で来た。彼は友達のように接してくれた。メガネをかけ丸顔で少し小太りであり、手が大きかった。笑うと目が細くなり、コメディアンでこのような顔の人がいたなと思った。「君が重たい荷物を背負っている、ぼくにその重い荷物を少しくれないか」とか 「願箋は必要でないか、遠慮することはないぞ」と健一のかたくなになった心に、やさしいことばかけで気持ちを癒してくれようとしてくれた。一時、健一の気持ちをときほぐすために出た追従な言葉で、本心から言っているのではないと思った。健一は無表情、無口でその教官と向き合ってばかりであった。そのような健一の態度であったけれど、会う度に教官は短い言葉で健一にやさしく接してくれた。彼は日常の話題を一方的に話してくる。プロ野球のこと、サッカーの試合の結果や選手の話、彼の故郷である島根県の宍道湖の夕焼けのきれいなことなど健一が何もいわないものだから彼が一人で話し続けた。
  母が松江の出身であった。もうだいぶ経つけれど、母に連れられて宍道湖に行った記憶がある。たしか、母と二人きりであった。夕焼けの美しさに幼い健一でも感動をしたことがあった。あれは祖母が亡くなり、その葬式に出席した後で、健一が小学生の二年生くらいの時であった。複雑な事情があったのだろう、それまで母の実家へは行ったことがなかった。祖母は若い時に一人っ子で幼年の母を連れて再婚した。相手も再婚で、すでに母よりも年齢の高い連れ子が三人いて、祖母の再婚によってえた新しい家庭も、幼少の母にとり寛ぎのある家ではなかったようだ。母がもうここへ来ることはないね、と誰にいうでもなく寂しそうに宍道湖をみながらつぶやいた。残照を受けた陰影のある寂しそうな母の横顔が強く印象的であったことを覚えていた。喉元までその時の話をしようとおもったけれど、健一はつばを飲み込み、自分からは話をしなかった。時折、健一の目をみつめ彼は健一の言葉を求めたが、何の反応がないと知ると、少し落胆の色をみせながら、次の話題を語った。審判で裁判長をはじめ司法関係の人々が健一の立場を理解してくれなかったこともあり、健一は自分以外の世界を信じることができなかった。
  両親が月に一度は面会にきてくれたが、その面会時間、健一は自分から何かを尋ねることはなかった。父や母からの問いかけに短く答えるだけであった。足を組んだまま言葉を発しない健一に対して、面会の終了を告げられると、両親は健一からなにかの言葉かけを期待していたようだが、何もないとわかると落胆ぶりがその表情に表れた。面会時に同席していた刑務官が同情してか、何かないのかと問いかけてくれる場合もあった。父のわきにいる母親が、健一の顔をみるとすぐに目が真っ赤になるのを見てから、あえて母親をみないようにした。だから面会時も父親の顔か、あるいは斜めの方角を見ながら応えていた。母親の目をまともにみたら、自分の報復に燃えている感情が、萎えていくような気持ちになるのを恐れていた。両親が面会室を出ていくその後ろ姿が小さくみえた。   
  教官とのそのような状態での面談が数回続き、いつも変わらない彼の態度に対して、健一の心の中にあの教官は嘘のない人だと思いはじめる気持ちが芽生えてきた。  次の面談の時には何かを話してみようと思った。少年院で孤独だった自分の気持ちが幼い時に、病気で熱にうなされ寝ていて、ふと目が覚めると父や母がそばにいることを知り、また安心して眠りにつくことができたように……。自分を受け入れてくれる人、甘えさせてくれる人がいるという安堵感に近い感情が、その教官との間に生まれつつあるような気がしてきた。その教官との面会日がきた。彼は前の面談の時に、小学校六年生の一人娘がいることを語っていた。可愛くてしょうがないと破顔して話す彼だった。だから健一は、教官の娘と同じ年のころの思い出を語りながら、自分がいかに両親から愛されていたかの話をしたいと思い、いくつかの話題を頭につめて彼との面談にのぞんだ。自分が声を出したらきっと教官は驚きのあまり声をあげて笑うかもしれない。彼があのやさしい仕草で笑ってくれたら、きっと自分も声をあげて笑うかもしれない。今までにはない面談の雰囲気になるに違いないと思った。しかし面談室にいたのはいままでの教官ではなかった。父よりも年嵩があり、その視線は健一を判別するような、試験官のような印象の教官であった。彼はいった、岡田教官は交通事故にあわれ亡くなられた。私がこれから君の担当をする。健一はこのあと新任の教官がなにをいったのか全く記憶になかった。その面談中一言も発しなかった。ただ、健一の目から涙が一筋ながれたのをその教官はじっとみていた。
  健一にとって信じられる者はまたいなくなったと思った。
  憔悴しきっていた父親と母親、心配をかけたと思うが、心底から迷惑をかけたという意識が芽生えてはいなかった。どちらかといえば親だから子供のことを心配するのはあたりまえではないかと思っていた。ただ妹の伸子には複雑な気持ちであった。あの夏にあの場面に遭遇しなかったら、今日の事態はなかったはずだと思うと、脅かされていた妹たちが、自分をこのようにおいおとした遠因をつくったのだと、責任をおしつける気持ちがわいてくるのを感じたが、ただそのように責任を他者に転嫁する自分がよりいやになっていった。少年院では、読書に没頭する日々をおくった。小松に対する罪のつぐないは逮捕されて告訴されてからも、健一の心にはほとんどなかった。一時であったが、警察や検察訊問や取り調べ、そして両親のうなだれた姿を見ることによって、大変なことになってしまったという意識は持つにはもったが、自分は彼を死においやる行為はしていないと思っていた。だが、確実に小松がこの世界からいないという事実と、自分の存在が影響を与えていたと考えると、申しわけないと思う時もあった。だが、日を重ねるうちに、だんだんと小松に対しての申しわけないという意識が薄れていった。逆に挑んできた小松や、周りにいた四人の男たちを、ゆるすことができなくなっていった。あの時、俺は先に帰った。小松が死にいたるような打撃を自分はあたえてはいないのに、やつらの証言で自分が主犯格に、まつりあげられてしまっている。このような立場においこんだ人間たちをゆるすことはできなかった。いつかこの悔しさをはっきりさせてやろうという報復心による憎悪が、少年院時代の健一を支える強い意識の柱であった。
  少年院で退院間近な者たちだけがあつまって説明があった。なかには親と敷地内の部屋で、その家族だけで生活の疑似体験というものがあり、退院の近いものは一様に表情は明るかった。健一と同じ日の退院者は四名であった。退院する儀式がある。院長の訓示などがあり、健一が代表となり答辞をよんだ。退院者の後ろの席に親などの保護者がいた。誰かわからなかったが、女の人のすすり泣きが聞こえていた。何人かが後ろを振り向いたようだったが、健一は後ろを振り返ることはしなかった。泣いている女が誰であるか関心はなかった。もしかしたら母親であるかもしれないが、自分は冤罪によってこの場所にいるとかたくなに思っていた。この辛さを泣いている女にぶつけたい衝動もしたが、報復に燃える気持ちが更に強くなっていくように思った。親は一言も面会の時に自分を信じるとは言ってくれなかった。亡くなったひとの哀しみを理解するようにといった父親、目を真っ赤にして泣きぱなしだった母親、一言自分にいって欲しかったことがある。それは 「お前を信じる」という言葉だった。現実に、自分が罪を犯していたとしても、立ち直ろうとする自分を信じると言って欲しかったと思った。その言葉があれば、自分は少しは違った対応をしていたかもしれない。立ち直ろうという勇気をもらったかも知れなかった。だが、あの場にいなかった両親にどんなに説明をしても事態を納得させることは出来なかっただろう。警察も検察も自分を信じてはくれなかった。中学時代に地域では番をはっていたという過去の事実が、自分の言い分を客観的になって受け止めてくれる気持ちにならなかったのだろうと思った。過去の足跡が重くのしかかりまとわりついていることを強く感じた。そのような感情になればなるほど、あの小松の周りにいた男達に復讐をしたいのが、健一の心のなかすべてを占めていた。
  誰だがわからないが、すすり泣いている女に泣くなと叫びたい衝動にかられたが、健一は黙々と答辞を読み続けていた。
  健一は自宅に戻っても以前の健一とは違っていた。以前であれば自らよく父や母にそして伸子に声をかけ、茶目っけを発揮してユーモアぶりを披露したけれど、そのような仕草は全くなくなっていた。
  家族は健一に神経過敏なほど気を使っているのがわかった。父や母は健一の表情を神経質的に観察していた。父がある夜、健一にドライブしようと言い出した。健一はうなずいて共に出かけた。健一の反応がうれしかったのか父は、はたからみてもその動きに通常みられないあわてぶりがみられた。四谷から半蔵門に出て三宅坂を走った。夜であったが、皇居のほとりを走っている人の姿がときおり見られた。自由に走れることのできる側に自分はきたのだと思った。少年院でも囲いのあるグランドを走った。運動をしたあとの汗は、心地よく、何もかも忘却させてくれるようであった。御堀に丸の内のビル群が投影されて水面が輝いていた。ときおり風がやさしく吹き抜けるのか、水面に投影された光が揺れ幻想的な光景をかもしだしていた。数年ぶりにみる銀座の街の華やかな装飾に目を留めた。この街には、人を活き活きとさせる力をもっているように思う反面、自分のように挫折した身にとっては、手の届かない高嶺の花のようだと思った。父親が俺のために気をつかっている、と思うが感謝などなかった。小時間の夜のドライブであったが、父は体に注意してとか、若いのだからやり直せると何度もいった。うなずく態度を見せたけれど健一は真っ先にせねばならないことがあった。それはあの男たちへの復讐であった。それをなくしては前に歩むことはできないと、健一は確信にみちたものを感じていた。自分はさっき皇居で走っている男をみたが、あの男は自分の夢にむかって走っているのだろうと思ったが、自分は復讐というゴールに向かって走っているのだと思った。そのゴールには感動はないだろう。あるのはより増してくるであろう社会に対しての嫌悪であり、そして自分自身の破滅であろうと思った。
  月に一度近所の保護司のところへ行った。六十歳を過ぎた小さな会社を経営している男であった。はじめての訪問時、保護司が健一の名前を確認したけれど、健一は軽く頭をさげることで何も語ろうとはしなかった。その後、保護司は自分の事を語り、これからの期間ともに学んでいきたいと話した。だが、健一はその様子を無表情でみつめていただけであった。大人社会、それも権力機構に属する人たちに対して、猜疑心がいままでの仕打ちからより強くなっていた。その保護司もしばらくして健一を真正面に見据えたが、沈黙をはじめた。その目には怪訝な表情がみてとれた。また何かしら健一を見てはいるのだが、健一がその視界に入っていないように遠い所を見つめているような面差しがあるように思われた。二人の間におかれたコーヒーがさめていった。 健一はカップをみつめたまま、保護司は二階の窓からみえるすっきりと晴れ上がった青空を姿勢をくずすことなくみつめていた。
  二十分ほどがたってから保護司は次の面接日を指定した、健一は黙ってうなずいた。玄関で見送る保護司の視線はそんな健一の態度にもかかわらず 「じゃ、また」と笑顔で見送ってくれた。頭をさげ保護司の家をあとにした。健一にとって妙な気持ちであった。少年院での岡田調査官を健一は思い出していた。あの人のまなざしと今日の保護司が似ているような気がした。保護司は品川と名乗っていた。三度目の面会日に健一は品川から何か仕事をしないかと言われた。なにもしない自分自身の生活に嫌気をもっていたころなので、
「したいです」
  数回、保護司のもとにきているが、初めて健一が口をきいたので品川は、
「わかった、なにか深してみようと、なにかしたい仕事は」
「一人で出来るものがいいです」
  品川の表情にやさしい笑顔が見られた。それから間もなくして、健一は朝だけの新聞配達をするようになった。朝四時に起床し、おそよ二百軒ほどの配達をする。健一の住む町から離れているが、知人のことも気にせずに配達ができる地域であった。そんなわずかな変化であったけれど、両親はよろこんでくれているようだった。朝が早いので起きなくていいと言ってあった。けれど健一が出かける物音は、別室の中で聞き耳をたててわかっているのだろうと思った。毎朝、以前していたように、 「行ってきます」 といいながら出かけて行った。ただし声は全く発していなかった。帰ってきても、 「ただいま」と声を出さないで言った。あえて黙然とすることで自分がやつらに報復するという気持ちを維持していた。そのような自分の生き方について今の仕事は向いていると思った。新聞配達所の数人の男たちと顔をあわせるが、早く配達をおわらせねばならないのでほとんど会話はなかった。日常の挨拶のみでよかった。それ以上の会話は発生しなかった。
  自転車で約二時間近くの配達で、月に三万円ほどの稼ぎだった。その給料は小遣い銭をとった残額は母親に渡した。当初、母親は受取を拒んでいたけれど、頑な健一の意志を受入れ、その後は何もいわず 「ありがとう」 と言って受け取った。
  健一は月に一度の保護司との面会をのぞくと、週に一度ほど近くの盛り場や、駅などに足を向けていた。行き交う人々の群れのなかに、やつらの姿を探していた。けれどむなしい日々が目の前を通りすぎるだけであった。
  一年半の日々が経過し、保護観察の日々も残り少なくなった。健一も一月先には二十歳になろうとしていた。妹の伸子は高校二年生になっていて、陸上のクラブに所属し、中距離を専門にしていた。最近は秋の大会をめざし毎日のように張り切っていた。
「にいちゃん、今度の大会は必ず応援にきてね」
  何度も念をおした。いつもはただ、うなずくだけであったのに
「わかった」
  それは小さな声であった。一瞬、側にいた母親が手を止めて健一をみつめた。伸子もみつめながら、
「お兄ちゃんの声何年ぶりかで聞いた、いい声だ」
  はしゃぐ様子を見せて笑った。健一も照れ笑いなのか、自分でも不思議なくらい素直になれていた。おそらく父親が帰ってきたら、母は重大事件が起こったように、興奮して語ることであろうと思った。そして、両親が共に涙を流すに違いないと思った。長い月日の中で、新聞配達をしたり、その配達をしている同僚と映画を観にいったりなどの自分を取り巻く環境の変化や、なによりも家族が自分を支えていてくれているという思いが、かつてギラギラした復讐という気持ちに支配されていた自分を変えていっているように思えた。が時折、無性にやつらのことを思い出すと心の中が苛立ってくるのを抑えることが難しくなる時があった。彼らのことを思い浮かべた時の健一の表情は険しく、誰も近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。その感情になった時、母親の表情が強張ったように変わるのを健一はみた。親が自分の行動の一つ一つに対して鋭敏な恐怖に近い感覚を呼び起こされていることを知った。家族に対して、過去の健一の行為は、深く重い傷を与えていることをあらためて知るのであった。自分は今生きている。だから感情がいろいろと変化し、様々な人や物事を知ることができる。少しずつだが、気持ちの緊張感が薄められる時があり、前向きに生きなければと思うような時もおとずれることがある。そのような意識の変化がもたらすのであろうか、死んだ小松は悲しい一生だったと思うようになった。中学生時代いじめにあっていた小松を、その場では助けたかもしれないが、彼の本当のいじめを自分は見つめていたのだろうかと考える自分がいることを健一は不思議に思う。自分は少し変わったと思う、鋭い刃物のような眼差しがすこしずつ削られていったのだと思った。いろいろな要因がそうさせていったと考えた。他者との出会いが強いのかもしれないし、家族が突き放さずに見守ってくれているのが一番の要因かもしれないと考えた。そして今だったら亡くなった小松の墓参りに自分一人でいけるかもしれないと思った。少年院を出てすぐの時、保護司の運転する車で小松の実家へ行くことになった。両親も同乗した。町工場がならぶ一角に、建築されてから長い月日を経た三階建ての都営アパートが数棟並んでいた。小松のいた部屋は奥まった二階にあった。品川が前もって今日の訪問を伝えていたが、部屋のなかからはなんの応答もなかった。品川が中をのぞきこむようにしてさらに声をかけたが、反応はなかった。彼は自分たちに向かい、申しわけなさそうな表情で思案顔になった。父が「あれっ」という声をだしながら玄関の脇下にある郵便ポストのはじを指さした。ポストの脇にセロテープで品川あてに封書が貼付されていた。品川はその場で開封して読んだ。表情が曇った。健一と両親の方に視線をなげかけ、頭を横に振った。それ以来、品川は被害者の小松のことを話題にすることはなくなっていた。
  健一は品川から小松の墓所を聞き、一人で線香を手向けにいこうと思った。小松の辛かったに違いない彼の短い人生に対して、自分ができることは見栄をはり自分に挑んできた小松を赦すことかもしれないと思った。小松の周りにいたやつらのこともだんだんと記憶がうすらいでいった。おそらくよほどの事がないかぎり、町ですれちがってもわからないのではないかと思った。
  保護司の品川が、
「今回で保護観察は満了します。この間、健一君は努力をした、新聞配達所の所長も君のことをほめていたよ、私もそれを聞いて嬉しかった。ただ、新聞配達をつづけるか、それとも違う職種に変えるか、健一君も二十歳になる、君の気持ちをきかせてほしい」
  笑顔で健一を見つめた。相変わらず健一の発する言葉は極端に少なかったけれど、
「もうしばらくこのままでいいです、朝刊だけではなく、夕刊も配達してみたいと思います」
  抑揚のない声で品川に伝えた。二人の間には、コーヒーがおかれていた。珍しく品川はカップに手をのばし、一口を飲んだ。ごくりと飲みこむ音が健一には聞こえ、品川の狼狽した気配が感じられた。健一は怪訝だった。この動きは理解できなかった。困惑した様子で品川は健一に視線を投げかけた。
「わかった、健一君が今のままを望むのならそうしょう。でも近い将来、別の仕事につくようになったら、教えてほしい。保護司に対する義務ではないから、健一君の自由意志なんだけど、何か相談があったらいつでも出かけて欲しい、これ少ないが何かの役に立てて欲しい」
  封筒を差し出した。表面には、品川の好きなことばだといって、自由・平等・友愛と書かれていた。健一は固辞したが、品川が何度もすすめるので受取り礼を述べて席を立った。この何十回と繰り返した訪問と別れの場面だけど、今日が最後と思うと、見送りのために後ろにいる品川に対して、自分の何もこたえなかったわがままな気持ちを受け容れて、飽きもせず応対してくれた品川の態度が、自分をこの一年半の間支えていてくれたように感じた。そう思う考えがよぎった時に、自然と健一の目に光るものがみえた。玄関で深々と頭をさげた。自分でも妙な感情であった。足もとに涙がてんてんとながれおち、玄関のたたきの色を一部黒く変えていた。泣いている姿を品川にはみられたくなかったけれど、ふいに健一の肩に品川の手がおかれた。健一の肩が嗚咽で波うっていた。
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