雨の涯(はて)


犯罪者をもってしまった家族の葛藤を父親の立場、本人の立場からみつめた小説です。
日常生活でなぜとあなたに問いかけ、共に考えてくれることを求めた主題は重たいが、
その先にはあなたはなにかを見出すに違いない。
 
 
菊 池  明
 
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  区が主催する成人式が華やかに開催された。当日の天候はどこまでも青い空が拡がり、肌寒い気温であったけれど、若い人々の前途を自然界も祝うかのような好天に恵まれた。朝の配達を終えて朝食をとり、そのあとは一人で自室にいた。区から式典への案内状が届いていたが欠席した。会場へ行けば多くの懐かしい顔に出会うことは間違いなかった。しかし周りの彼を見る目は異質であると思うと、会場に向かう気持ちにはならなかった。多くの友人たちの顔が浮かんだが事件いらい健一のもとをたずねてくるのは誰もいなかった。坂上だけが年賀状をくれていた。お前の都合がついたら会おうとかいてあったが、健一は無視していた。机の上には、前の晩に以前、担当保護司であった品川からの贈り物がおかれていた。包装の形状から判断すると身につけるもののようであった。明るい色のその包みに手紙が添えられていた。品川がじかに自宅に届けてくれたらしく、それを話す母親に感謝のことばがはしはしに出てきていた。健一はその包装をほどき中身をみることも、また手紙を開封してその内容を知ることにも躊躇させる意識があった。健一は品川が自分を気にかけてくれて、見守ってくれているあかしとして、贈り物をそのままにしておきたかった。いつの日かこの包装をあけ、手紙を開封し清々しい状態のもとでみたいと願ったが、それはないと思えた。以前よりは気持ちは大分薄らいでいたが、自分をここまで追いこんだ奴らに報復をしなければならないという感情は払拭できていなかった。その時はきっと自分はもっと家族や品川に辛い思いをさせるのではないかと考えた。でも、ふと奴らのことを赦すことはできないが、この憎悪する思いにピリオドをうてるなにかのきっかけが欲しいと思う気持ちも健一の心のなかで芽生えつつあった。
  母親が、日曜日や祭日には夕刊の配達が休みであることを知っていて、夕食を四人でとろうといいに来た。その母親の視線を背後に感じながら 「ウン」という言葉を発して健一はうなずいた。その日の夕食を妹の伸子をも交えて過ごした。伸子は、高校へ入ってからは、それまでも鬱積したものをすべて吐き出すかのように、日々充実している生き方をしていた。昨年秋の大会では惜しくも優勝は逃したけれど、破れてもさっぱりした表情でスタンドから観戦していた健一に明るい笑顔を向けてきていた。この日も、伸子が両親と健一の間に入り、活発に話題づくりに奔走し、場を盛りたてていた。自然と健一も鏑木も恵美子もその醸し出す雰囲気に溶けこんでいった。自動シャッターで家族全員の記念写真を撮影した。健一と伸子の肩に父親の手がのせられていた。両親はともに生真面目に口を結び、伸子は胸の前でVサインをだし、満面の笑顔であり、健一は幾分はにかんだような表情であった。

  その健一の成人式から数日して、その日は未明から東京には珍しく雪が降り続き、街は白一色に変化していった。健一が夕刊の配達を終えて家に戻ると、戸腰という人から手紙が届いていた。封筒の裏面に戸腰忠明としか記載されていなく、健一には戸腰という人物をおもいだすことはなかった。彼はその封書を冷たさで感覚が麻痺した手でなんとか開封し、目を通した。彼の表情がその手紙に釘付けとなった。手紙をもった手が怒りで震えていた。便箋二枚の全文を読み終えたが、封書をつかんだ手に力が加わり手紙が捩れていった。部屋の灯りが窓を通して暗い外に流れ、その光に白い雪がとめどなく浮かんでは消えていった。東京地方に大雪警報を知らせるテロップがテレビ画面に流れていた。 
  数日後、健一は四谷の駅から新宿通りの賑やかな通りを建物を探しながらあるいていた。裏道に入ると、先日降った雪がほこりをかぶり、なかば黒い塊として道の端々にあるけれど、人々の往来の激しい表通りでは雪の名残りをみせるものがなにひとつきえていた。
  通りに面した小林ビルという六階建のオフィスビルの前で歩みを止めた。いろいろな職種の会社が入居しているようで集合ポストからすると二十社ほどの会社があるようであった。
  その最上階に戸腰興業という表札を見つけた。他の階はフロアに複数の企業が入居しているのにくらべ、どうやら六階のフロア全部を占めているようであった。手紙に日曜日だったらあなたの仕事に迷惑をかけないと思うので、どうかという文面があり、日にちと時間そして会う場所が指定してあった。
  健一は極度に緊張がたかまった。みるからに一般の会社ではなかった。戸腰興業の頭に家紋のようなマークがほどこしてあった。鳥の羽の中に戸という字体が金色でかなりくずされて書いてあった。このまま引き返そうかとおもったが、あの手紙の内容を思うと健一はここで引き返すことはできないと自らを奮い立たせた。エレベータを降りると人が二、三人立てる面積の空間があり、すぐそばに木製の厚い扉が、人の入室を拒んでいるように構えていた。左斜め上から監視カメラが健一をとらえていた。健一が扉の前で躊躇しているわずかな時間であったが、その木製のドアが開き、背広でネクタイスタイルの若者が、
「鏑木健一様でございますか」
  健一はその若者が、表札のイメージとかなりの落差があることに意外な思いであった。中に案内され入ると二十畳ほどの応接室であった。ほぼ中央に二十人近くが、一堂に会せる木製テーブルが据えられていた。その中央の席にかけるように指示された。向かって正面と右側にドアがあり、正面のドアが開いた。年の頃五十歳前後の背の高いダブルの背広を着こなした男が笑顔で出てきた。健一には全く見覚えない男であった。
  健一と向かい合わせにすわると、その笑顔は消え、健一に視線をおとし、じっと見据えた。
「私が手紙を差し上げた戸腰忠明といいます。先日の手紙でお知らせしたように、あなたにはどうお詫びしていいのかわからず、急にご自宅へ伺っても却ってご迷惑になると考え、本日お会いしてからきちんとけじめをつけさせていただきたいと思いました。誠に失礼とは思いましたが、こちらの方でいろいろと調べさせていただき、鏑木様がお仕事のない日、そしてゆっくりと話せる場として、時間と場所とを決めさせていただきました。私どもの都合を優先させていただきありがとうございました」
  戸腰と名乗る男は健一にそう話した。ひと呼吸おいてから、戸腰の背後のドアが開き、先ほどの若い男を先頭に四人の男たちが出てきた。先日の手紙で、この四人の男たちが小松に致命的な傷を与え、その責任を健一に押しつけたということを書きしたためてあった。いつの間にか、戸腰の背後には体格のよい男たちが七、八人、その四人の男たちを囲むようにして立っていた。四人の男たちは蒼白な表情でうなだれていた。健一は自分と家族に長い間苦しみを与えてきたこの男たちにいつか復讐をとの一念で少年院を過ごしてきた。だが保護司の品川などとの出会いを通して、彼らに抱いていた憎悪の気持ちは少しずつ薄らいでいた。男たちの顔つきをみても、これがあのときの男たちだとは結びつかなかった。事件から数年経ていたが、彼らもその表情を少年から青年へとかえていた。
「こいつらは今、私が面倒をみています。鏑木さんが、もう一度警察へ訴え出て身の潔白をはらそうという気持ちか、他の代償で赦していただけるか、決めて欲しいと思い、おいでいただきました」
  戸腰がすくっとたちあがって、健一に頭を下げた。それに従うように周りの男たちも頭をさげ、戸腰が頭をあげると四人の男たち以外は戸腰からしばらくして頭を上げた。四人の男たちは頭を下げた状態のままであった。そのうちの一人が折っていた体をまっすぐになおそうとしたとき、そばにいた禿頭の男が拳でその男の背中を殴りつけた。
「ゆるしがおりるまで頭をあげるんじゃない」
  凄みのある声と敏捷な動作で威嚇をした。街の喧騒はこの室内に届いてはこなかった。背中を殴りつけた重い音が沈んでいた。背後でそのようなやりとりがあったにもかかわらず、戸腰は冷静で、健一の返事を待つかのように、視線をおくってきた。健一にとり、このような事務所に出入りすることも初めてだったし、またこのような緊張した場面に遭遇しているのも初めての体験であった。健一は緊張していた。返答次第では、自分にも災いがもたらされるようになるかもしれないとも思う反面、もっと怒れ、探していたやつらが目の前にいるのだ、とかつての復讐心をあおる自分もいた。
「なんで、その事実をあなたは知ったのか、そしてあなたは俺にけじめをつけさせるのか、そのことをまず知りたい」
  緊張で乾いたかすれ声で戸腰に声をかけた。あなたという呼びかけに、動揺がまわりの男たちの間に波紋のように広がり、男たちが剣呑な表情になった。健一は思わず発してしまった言葉に後悔したが、戸腰はそのような周りの視線を抑えるように、
「鏑木さんがそうおっしゃるのはもっともです。私もこのような社会に身をおいていますが、自分の過誤を他者におしつけることはどんな社会にあっても、赦すことのできる行為ではありません。自分でつくった問題は自分自身で解決をせねばならないと思うからです。そうしなければ、こいつらも駄目な男のままで一生過ごすでしょう。自分の後始末を今後どのようにするか、悶々と苦しむ過程のなかで、何かを掴むことができるはずです。何かの縁で私の手足となっている、こいつらにぜひとも卑怯な男のままであって欲しくないからです。誰しも自分が可愛いもんです。人間のさがだと思いますが、でも自分自身の卑怯な甘えから、他人様や親・兄弟や身内に迷惑をかけてはいけないと思うからです。また、鏑木さんの気持ちにひとつの区切りをもって欲しいと考えたからです」
  戸腰は冷静に淡々と健一の質問に応えた。それらの話を聞いて健一の口から出た言葉は、全く本人にとっても意外であり、その周りにいた人間たちにとっては余計に意外であったかもしれない。
「俺は、こいつらに何も感じてはいません。最初は憎くて仕方がなかったけれど、今はその感情がまったくありません。このようにけじめをつけてくれることなど全く予想外でした。亡くなった小松の一人暮しの母親になにがしのことをしてくれたら、俺はすっかり忘れます」
  戸腰は後ろを振り返り、四人の男たちに健一にあいさつをいれるように目配りをした。戸腰自身も深く体を曲げ、健一に頭を下げた。他の男たちも一斉に戸腰と同じように体をふたつに折った。
「鏑木さんありがとう、こいつらはしばらくよそで鍛えます。手前勝手ですが、こいつらも警察に出頭する覚悟を決めて、今日ここにきました。その気持ちだけは、理解していただけたらと思います。亡き小松さんの母親にはなにかしらの事を匿名でさせていただきます」
  四谷の駅に向かいながら、戸腰の話を反芻していた。あの四人は小松とはいつもつるんでいたわけではなく、小松の方が彼らにいいように使われていたらしい。あの神社での事件にいたる経緯は小松の仲間に対しての虚勢から、俺の同期に凄い奴がいた、一度でもいいから奴とタイマンをはってみたいということがきっかけであったらしい。俺たちがついていてやるから、お前そいつとやればいいというようになったらしい。しかし小松は健一の相手ではなかった。タイマンで小松は敗れ、健一にもういけと言った。健一が去ったあと、四人が小松になぜに俺たちをこけにしたと詰め寄った。小松は、俺はあいつが好きだった、俺を助けてくれたのは後にも先にもあいつしかいなかった。本当は友達になりたかったが、あいつは俺が声を掛けられる相手ではなかった。中学時代廊下などであいつとすれ違うと何か無表情になり視線を俺のほうからそらしてしまうんだ。そんなあいつの妹から俺たちは喝あげをした、俺は恩を仇で返してしまった。あいつはお前等とは違うんだ、お前等は弱い者しか脅しができないが、あいつは勇気があった。俺たちには勇気なんかなかった。うわべだけ強がりをいっているだけで自分一人ではなにもできないくずなんだ。だからお前たちの加勢なんか、そんな卑怯なことはしたくなかったんだ。その後で四人が小松を袋叩きにしたということであったらしい。健一は胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。 「戸腰興業株式会社  代表取締役社長  戸腰忠明」と印刷され、会社の住所・電話番号のかたわらに個人的だといって、携帯電話の番号をあのとき、みずからが書きたした。「何かあったら遠慮せずに連絡を下さい」という戸腰の声が健一の脳裏に強く焼きついた。
  戸腰は、健一が去ったあと社長室にひとり戻った。机の上に変色している一枚の写真をだし、それをながめた。
「世間は自分たちのことを暴力団といっているが、自分はこれまでその評価をかえるために動いてきた、いま、身内の者はすべて合法的職業に就かせている。決して悪の集団ではない、枝では恐喝などでシノギをしている者たちもいるようだが、いずれは真っ当な仕事でそいつ等も大道を歩かせてやりたい、落ちこぼれと思っているやつらに自信をもたせ、幸せになってほしいと思っている。父さんや母さんには迷惑をかけてきた息子だけど、どうか俺を天国から支えてほしい、今きた青年ももし俺のところを頼ってきたならば、出来うるかぎり彼が世間から後ろ指をさされない仕事を紹介してやろうと思う、それが俺の運命だと思っている」
  時間が経過しセピア色になっている両親の写真をしばしみつめ、戸腰は一人つぶやき、机の引き出しに静かにその写真を納めた。
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