雨の涯(はて)


犯罪者をもってしまった家族の葛藤を父親の立場、本人の立場からみつめた小説です。
日常生活でなぜとあなたに問いかけ、共に考えてくれることを求めた主題は重たいが、
その先にはあなたはなにかを見出すに違いない。
 
 
菊 池  明
 
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  健一のこの事件は新聞などのマスコミに大々的に報道された。さすがに少年事件であったので、名前や顔は隠されていたが健一を知る人達は知っていた。マスコミも 「いじめ」の問題として取り上げた。数社のテレビ局でも昼間のワイドショーで教育評論家をゲストにこの事件の背景などを話題にしていた。
  この事件は地域ではひろく知れ渡っていった。

  健一のこの事件は家族一人一人に重い問題をなげかけた。
  息子の逮捕から恵美子は外出ができなくなってしまった。外へ出るのが怖かった。また、新聞やテレビでのニュース番組はみられなかった。親として事情聴取を受けなくてはならない時は、極力、人と触れ合う時間帯はさけた。前日予約をしておいたホテルへ深夜に行き、戻る時も深夜に自宅へ帰るということをした。それでもエレベータの中で人と一緒になる場合があったけれど、鏑木も恵美子も顔を伏せ、黙したままドアがあくと素早く廊下を小走りして自室へ戻った。日中はより自分をみられないようにした。部屋から一歩も外へ出ることはしなかったし、部屋のカーテンもしめたままであったので、日あたりの良い部屋であつたが灯りをともさなければ薄暗く、恵美子の心と同じ様に、居間にも寝室にも虚しさが漂っていた。周りの人々が一斉に母親である自分を非難し、親としての失格の烙印を押されたように思った。事件が明かるみに出て、事件直後からテレビカメラをかかえた数人が、マンション全体を撮影しているようであった。それもいくつかの民放テレビ局が撮影にきているようだった。その光景を自室のカーテン越しに見た時、足がすくみ動悸が強く打ち始め、体がガタガタと音をたて震えるのを抑えることが出来なかった。
  近くに健一や伸子が幼い時、子連れ同士でよく遊びでかけたり、子育ての話題で時を過ごした友達がいた。なにかとおしゃべりをする間柄であった。この事件直後、その彼女が何度か家に訪ねてきてくれたが、恵美子はドアをあけることはなかった。ドア越しになぐさめの言葉をかけてくれたが、恵美子は応える代わりに泣いて自分の混乱している気持ちを表すしか出来なかった。自分たちのことを心配してきてくれているとは思うが、駄目な母親にさせた健一が赦せない自分だった。なんでこんな目に会わなければいけないのか、そんな気持ちの恵美子にとり、家族以外に、その姿を曝す余裕はもてなかった。彼女の子ども達は立派に育っている。私の息子はとりかえしのつかない事件をひきおこした。その自分は母親として敗者であると思わざるをえなかった。しばらくドアの向こう側に彼女が佇んでいる気配を感じたが彼女も泣き声で、
「またくるからね、負けちゃ駄目よ」
  恵美子は友人の立ち去っていく足音をドア越しに聞きながら、複雑な思いであった。無二の友人が自分の対応に愛想をつかしたために、去っていって二度と戻ってくることはないのではないかと心配したり、駄目な母親の自分の姿を彼女の前に出すことをしなくてよかったと思ったりした。友の来訪を恵美子がありがたいという感情になれるには、かなりの日々が必要であった。事件直後は冷静に自分をみることはできなく、自らを責め、健一を非難し、夫を含めまわりのすべてを否定的にしかみられなかった。心が大きく振り子のように揺れているばかりであった。
  一人きりの時、何度か電話が鳴ったけれど出なかった。ある時、留守電に切り替わっていて、しばらくコールしたあと 「放送局の者ですが」という機械的な声がながれた時があった。あわてて留守電機能をオフにした。毛布を数枚持ち出して電話を幾重にもして包んだ。小さい電話機が毛布にくるまれて、寒冷地の赤ん坊が、どてらを幾重にも着せられ、だるまのようになっていた写真をみたことがあったが、それに近いと思った。包まれた電話機が意志を持った生き物のように居間のソファの横にでんとして座っているようであった。
  帰宅した夫や娘の伸子はその有り様をみて一様に表情を強張らしたけれど何も言わなかった。
  夫に買い物をしばらくの間頼んだ。きっと夫も大変な気苦労をしているだろうと思ったが、まだ自分は外へでることが出来ないと思った。意を決して買い物のため外へいこうとしてドアノブに手を差し出すが、全身にふるえがきて、うまくドアの把手がつかめない。そして体は玄関内で金縛りにあったように動くことができなかった。恵美子はその場にくずれおちていく自分を支えることはできなかった。泣いている母親に伸子が手を差し伸べた。その小さな手が自分の今を支えてくれていると思った。
  自分や夫に甘え、笑顔でいた幼い日々の健一の顔が浮かんだが、その顔がしだいに真っ黒に塗り潰されていった。恵美子の頬をなぶるように涙が流れた。
  いつの日からか、恵美子は深夜に帽子をかぶり、目深にマスクをして自転車でこれまで買い物をしてきたスーパーではなくバス停留所を数箇所越えて深夜営業スーパーでまとめ買いをするようになっていた。はじめての日、夫がついてきてくれた。買い物をすませ自転車に荷物をのせると会話もなく、一目散に自転車を走らせた。夫が息をきらせてあとからおって来るのはしっていたけれど、振り向く余裕はなかった。エレべータを降り自宅玄関ドアをあけ家のなかに入った時、後ろにいる夫に 「ありがとう」といえた。夫は泣き笑いという表情でうなずいた。
  恵美子がひとりで深夜買い物にいくようになった時、伸子が哀しみの表情で母親の姿をみつめていた。恵美子は娘の頭をそっとなでながら 「行ってくるね」と笑顔をみせて外へ出ていった。一歩家から離れると極度の緊張が恵美子の全身に走った。動悸が強くなり、心持ち息苦しさを覚えた。そんな自分に鞭をうちながらの買い物であった。伸子は声には出さなかったが自分が出ていった後、閉じられた玄関ドアの内側で泣き崩れているのだろう。その姿を想い描きながら恵美子は、とめどのない暗澹たる気持ちになった。深夜に買い物をする中、何度かパトロール中の警察官に訊問されたことがあったが、名前と住所を告げると、買い物の様子とその表情からそれ以上の聞き込みはなく、 「気をつけて」となかば事情を察したのか恵美子の目をみずに言われることが多かった。恵美子は頭を軽く下げ、暗い闇のなかに自転車を走らした。真っ暗な中に消えていく恵美子の後姿はまたしばらくすると街灯の下に浮かび出た。その光景を繰返しながら漆黒の闇の中に吸い込まれていった。

  伸子は学校にいけなくなっていった。子どもたちの口には、子ども特有の残酷さがみられた。こそこそと伸子を話題にあげている光景が学校内でみられた。小学校六年の二学期から不登校になり、中学校も入学式には出席したが翌日から不登校になった。小学校から中学校という新しい環境での出発で、それまでのわだかまりを変えることができるかと思った入学式であったが、伸子は過度に周りの視線を意識していた。自分に向けられた視線ではないにも拘らず、何か自分を標的にあげ、揶揄しているように感じてしまう。担任が新しい学校生活についての話をする時でさえも、担任が自分を避けているのではないかと思ってしまう。伸子の席は前の方であったが、後ろで話し声が聞こえると、自分のことを話しているのではないかと、先生の話よりも背後で話されている内容に全神経が集中してしまう。落ち着きがないようにみえるそんな伸子を担任は名指しで話を聞くようにと注意をする。伸子にとりその注意は、伸子の存在を担任がクラス全員に問題の家庭の子どもがここにいるぞと教えているようにかってに思いこんでしまう。
  名指しされ、どぎまぎしている伸子のあわてぶりが、クラスメートの笑いを誘った。その日、伸子はようやく家にたどりついた。意気沈しうつろな目をした伸子を一目みて、母親の恵美子は抱きしめた。声をあげて伸子は泣き出した。「学校にいきたくない」顔をくしゃくしゃにして泣きながら訴えた。
  その日を境に伸子は自宅にひきこもった。担任の教員が何度か訪問をしてくれたが、伸子とあうことはできなかった。会せてほしいと母親に話したが、申し訳なさそうな表情で、聞いてみますと言いながら姿を消すが、戻ってきたその表情は暗かった。
  一学期の終わりの頃、伸子は担任の推薦もあり、いじめにあっていたりして様々な登校困難な事情をかかえた児童・生徒が集まる特別学級に通い始めた。そこは伸子にとりくつろげる空間になり居場所になった。様々なつらい悩みをかかえた者同士、自分が嫌なことは他者にもしないという子どもたちの暗黙の気配りがあった。その学級を受け持つ教員たちにも、子どもたちの心の辛さをみつめ、個人としての尊厳に重きをおくという考え方の者が多いせいか、忍耐強くなかなか心を開かない子どもたちに接し、その応対ぶりは母のようでもあり、父親のようでもあり、  また友達のようでもあった。
  あかるさのなかった表情に笑顔が戻り、帰宅後笑顔で母親に学級の様子を話す伸子がみられるようになった。

  わが子が人を殺してしまったという意識が、父親である鏑木に常に重圧としておおいかぶさってきていた。ふりはらってもその黒いものは際限なくふりかかってきた。まるで息がつまるまで、身が埋もれていくまで容赦ない降り方であった。少しも青い空はみえず暗黒な空間から真っ黒なものが頭や顔に貼りついてきて呼吸ができないように苦しかった。そんな夢を何度もみた。
  今から十年前になるだろうか、息子の健一が自転車の窃盗で補導された。霞が関の東京家庭裁判所に呼び出しがあり、鏑木は恵美子と健一を連れて出向いた。健一を真ん中にしてその建物を歩く時、何か自分自身が犯罪をおかしたのではないかと思うほど、鏑木の心も体も硬直していた。
  保護観察官から、これからの日常生活への細々とした注意を受け、親としての監督を十分するように指導をうけた。鏑木と恵美子は初めて体験する自分たちには決して知ることはなかった出来事の連続に、緊張し動揺していた。自分よりも若い監察官で、鏑木たちをその視線はみおろすようであった。鏑木はネクタイに背広姿であったが、その監察官はネクタイをゆるめ上着は着ていなく、言い方も一方的であった。対等な接触ではなく、ダメな親を指導するそんな態度であった。鏑木たちは平身低頭の姿勢であつたが、健一はその監察官を批判的な視線でみていたようだった。「お前のためにこんな思いをしているのだ、監察官の心証をそこねないように、頭をさげろ」と言いたかったが、声どころか態度でも健一に知らしめることはできないくらい緊張をしていた。
  はりつめた気持ちの連続であったせいであろう、建物の外へようやく出た時に、急激な夏の日ざしが鏑木を包み、動作を鈍らした。行き交う人々や車の流れが、一斉に自分たちを見つめているのではないだろうかとの思いにとらわれた。顔身知りの人に会ったらどうしようと思った。誰か知り合いがみているのではないかと、ありえないことであるけれど、とめどない猜疑心におちいっていく自分を感じた。胸の動悸が激しくなり、妻や健一に聞こえてしまうのではないかとあわてた。この建物や恵美子、健一から少しでも離れたかった。足早に歩いた、半ば走るように恵美子も健一も鏑木の後を追ってきた。親子三人は暑い日差しをさけるかのように、目の前に広がる緑の日比谷公園にその歩みを進めていた。
  江戸時代の初期、この地域はゆるやかに入江がはいりこむ海であった。海苔を採取するためのひびがこの一帯にもうけられていた。鏑木は一瞬、そうであったならばよかったと思った。自分たちを観察するような人間はいないし、ひろがる青い海にどんなにかなぐさめられただろうと思ったが、現実は、そんな発想を滑稽なまでにかなたに追いやった。
  日比谷公園内の緑の木立ちに囲まれた一角にある松本楼に席をとった。窓越しに一本の大きな銀杏の木がほかの木々を凌駕するようにたっていた。この木は公園のなかでもその雄姿をみせ、目立つ木であった。秋には鮮やかな黄色の色を葉におとし、木枯らしとともに散り、あたり一面に黄金色の絨毯をひろげていた。また、ここの店のカレーライスは安価で旨く絶品であり、子どもたちがまだ幼い時より親子四人でときおり訪れていた。食べている子どもたちの嬉しそうな表情や、子どもたちをみつめている妻の表情に、小さな幸せを鏑木は感じていた。一家団欒という温かさを確認させてきた場所のひとつであった。今、健一は黙々と食べている。その姿をみてか妻の恵美子はそっと目頭をおさえていた。鏑木が健一をみつめ乍ら、
「旨いか」
「ウン」
  表情と応え方は幼い時に自分たちに見せた素朴さそのものであった。この子にはまだこのような幼さと純粋さがあることに、鏑木は内心安堵した。
「二度とこのようなことをしてはだめだぞ」
  健一は食べながら頭を小さく下げた。その所作が父親と息子のきずなの接ぎ穂になったような気がして鏑木の心がおちついていった。
  あのときはこれで、家庭内の雰囲気も良い方向へと変わっていくだろうと考えていた。が、鏑木たちにとって悲劇のとびらが開きはじめていた。数年後、まさかわが子が喧嘩で相手を殺してしまうなど考えることが出来なかった。
  職場ではさすがこの事件と鏑木を結びつけて考える同僚はいなかった。彼は家庭での重苦しい雰囲気から少し解放されたように思った。しかしながら、わが子が人をあやめてしまったという思いは、途方もなく鏑木を責めた。「少年事件は家庭に問題がある」などの発言を見たり聞いたりすると、そのことも否定できなかった。健一と二人でキャッチボールをしたり、相撲をとったりなど日常生活での生活臭がかけていたように思う。夏と冬には泊まりがけで家族旅行にも行った。その行事も家族の絆を求めるものであったが、今となって考えれば、過去の家族行事はすべて父親の自分の考えを優先してきたものであり、妻や子どもたちの考えは全く反映されていなかったと思った。もしかしたら、健一も伸子も違う形での家族のまとまりを求めていたのかもしれないし、妻のもまた別の家族団欒を考えていたかもしれない。家族を父親の従属物のような見方でみていたのではないか、そう考えると、ここまで息子をおいやったのは、父親である自分の責任が大きいのではないかと、鏑木は先に明るさのみえない長い隧道にはいりこんでいくように思った。
  一部上場企業の経理部長として、昼間は数十人の部下を率いて、仕事に没頭することで家庭のことは考えないですんだが、勤務をおえたあと、一人帰る道すがら自分を理性的に律することができなくなるような思いに襲われることもしばしばあった。一時もはやく家に戻って、意気消沈している妻や娘をしっかりと支えてやらねばという気持ちはあるのだが、鏑木はその意志とは全く正反対の行動をとった。ひとり盛り場をあてもなくさまよった。呼びこみの男に言われるがまま、女たちの矯声ひびくクラブのやわらかく体を包み込むようなソファに腰をおろしたことが何度もあった。薄暗い室内には煌びやかなシャンデリアが輝き、軽快な音楽が流れ、その店のはなやかな雰囲気が、重い課題をかかえた自分を解放させてくれたような気持ちになった。この気持ちを一時でも味わうために自分はここにいるのだ、残された家族をこの一時は忘れられると鏑木は思った。隣につく女たちと他愛のない会話を交わして、酔いがまわり足もとがフラつきながらその店を出る。出口まで見送りに来て、愛想よく話しかけてきた女たちも、鏑木が蹌踉とした足取りで数十歩ほど歩いて、後ろを振り向くと誰もいなかった。けばけばしく点滅する色とりどりのネオンが暗闇から悲しげにみつめているようだった。
  誰かに自分の心の寂しさをわかって欲しいと思ったが、人はその人によって受け止めてくれる気持ちは違っている。「大変ですね」と声をかけられても、 「辛いですね」と言われても、鏑木の動揺している気持ちを安心させてくれることはないだろう。そのように他人に救いを求め共感して慰めて貰おうという自分の弱さを知った。家族の問題によって起こる事柄は、鏑木の今までの価値観を根底から覆すほど重いものであることを、体験してはじめて知った。会社で部下を指揮し、てきぱきと判断し、仕事をこなしている自分は、別の仮の自分なのだと思った。だから、現実を見つめなくてはいけない自分なのだが、一時酒に頼って現実の辛さから逃避する時間が、今の自分には必要だと思った。自分に甘いかもしれないが、この緊張をほぐす空間がないとしたらどうしていいかわからなくなっていくだろう、その先には自らの生命を断つしかないのではないか、と思った。
  社内食堂で部下の安藤と食事をした時、仕事のことや内外の政治などを話し合っていたとき、自然と家庭の問題に話題が移った。
「部長、最近は子供を育てるって大変ですね、親が甘くなったんですかね。ガチンとどうして子どもにできないのですかね。私なんてよく親から殴られたもんですよ、その度に親を恨みましたが、でも親だからという思いで我慢しましたが、最近はいじめとかなにか歯止めがなくなったように思いますね。でも部長のお宅はお二人とも立派に育っていてよかったですね、部長が立派だから」
  もしかしたら自分の家庭事情を知っていてこのように話しているのだろうかと疑いながら、安藤の話を聞いていた。時折、相槌をうち、彼の語る家庭論に大きくうなずいた。鏑木はそんなよそ事みたいにふるまう自分が内心みじめだった。俺の息子がけんかで人を殺してしまったんだよ、俺の子どもが、とわめき叫びたかった。そのとき周りの同僚は、どのような顔をするだろうかとも思った。けれど彼は告白する勇気はなかった。これからも事件をかくし、他人事のような顔をして生きていくだろうと思った。正直にわが子がした行為を話したらおそらく、会社をやめなくてはならないと思った。これからの生活を考えた場合、その選択はできないし、被害者に金銭的な償いを親の責任でしなければならない。それもかなりの金額である。職場の人に話しても大変でしたね、という声もあるだろうが、多くは特異な視線で接してくるにちがいない。はたしてそのような諸々の目に自分をさらけ出すだけの自信はないと思った。
  息子が喧嘩相手を殺してしまったという事実を悪夢であって欲しいと鏑木は何度おもったことだろう。
  鏑木はさまざまな夢をみるようになった。それもなにかに追われているものや、崖から落下していくような夢であった。得体のしれない何ものかに襲われ逃げまどいながら、逃れ切れずその長いつめに身を裂かれる寸前に目を覚ましたこともあった。
  鏑木は、自死ということを最近は考えることが多くなった。ふと何か歩いている時に、天からでも石でもおちてきて即死ということはないだろうか、急な心臓発作により自分が死なないだろうかと思うことがある。疾病や災害に遭遇して命を落とすのであれば、残された家族にさまざまな辛い思いをあたえずによいのにとも考えることがあった。
  憔悴しきっている妻をみるのはつらかった。知り合って付き合い始めた頃の恵美子は、体格は小柄の方であったけれど、笑うと両頬のえくぼがかわいいと思う女性であった。その妻が化粧気もなく一人ぽつねんと灯りもつけない暗い家にいる姿を想像すると、鏑木はこの事態にどのように立ち向かえばいいのかわからなかった。父親である自分と、夫である自分、そして一人の無力な中年から実年に向かう男の自分を、どのようにぎょしていけばいいのか、会社で部下の安藤などといるときには、受け手として聞く立場なので、自分のことを振り返ることがまったくというほどないけれど、一人になるとどのように向きあっていけばよいのか迷うばかりであった。自分を飾らないでも話すことのできる、真実の話をきいてくれる誰かが欲しかった。健一の事件以来、鏑木は本を読まない日はなくなった。ひとり自分をみつめる時間がこわかった。だから、読書に没頭する行為によって鏑木はかろうじて生きていると思った。最近、孤独な人間がどのように一人生きていくのかというような本を買い求め、一人喫茶店で貪るように目を通すことが多くなった。その文の中に力を与えられ、その意味に涙をながす時がときおりあった。最近読んだ本のなかで印象に残った言葉があった。「苦しみは永遠にはつづかないで日々変化していく、その変化をどうとらえ考えるか」、苦しみが永遠につづかないという文に肩の力がぬけていくようであった。涙が一滴その文章の上におちた。いつかはこの苦悩とも別れる時がくるのだと、勇気をもらったような気がした。このように鏑木はいろいろな本から自分を励ましてくれる言葉を貰った。それらは鏑木の疲弊しつづける気持に一時終止符をうち、一休みする余裕をもたらしてくれた。
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